個人的なPCゲームと洋ゲームの遍歴 (黎明期)

2021年10月6日水曜日

日記

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クラン時代が懐かしいCounter-Strikeの古いタイトル画像


私は子供の頃に光栄(現コーエーテクモゲームス)のゲームが好きだった。理由は歴史が好きだったからである。ファミリーコンピュータに移植された信長の野望・全国版や三國志も購入していた。両作とも定価9,800円と14,800円でとても高価だったが、歴史が好きだったのでそれでも手に入れていた。だが、子供の私にはかなり重い負担の金額でもあった。


本作の定価は14,800円であり、当時としては高い値段設定であった。これはファミリーコンピュータ本体と同額であり、ゲームソフト一本の値段としてはかなりの高額商品であった。 (三國志 (ゲーム) - Wikipedia)
当時の広告によれば『三國志』が14,800円、MSX2版が12,800円。『信長の野望全国版』が9,800円、『蒼き狼と白き牝鹿』が8,800円もしくは7,800円。『チャレンジ!!パソコンシミュレーションゲーム』に掲載。 (三國志 (ゲーム) - Wikipedia)

 

そういう流れもあって、我が家に初めてのパーソナルコンピューターがやってきた時に、私は迷わずに信長の野望と三國志のPC版に出ている後継作品を買って遊んだのである。むしろPCでは他に興味のあるゲームが少なかった。家電量販店に行くとPCゲームのコーナーに売られていたのは、その多くがバリュー系ゲームやいわゆるエロゲーのようなものであったと覚えている。正直、家庭用ゲーム機もやっていたので、PCではコーエーのゲーム以外にはあまり興味を持てなかった。


当時遊んだコーエーのPCゲーム

信長の野望・天翔記

信長の野望・将星録

信長の野望・烈風伝

三國志IV

三國志V

三國志VI

三國志VII  

この後からはコーエーのゲームをあまり遊ばなくなった。洋ゲーばかり遊ぶようになった時からなのだが、一番大きな影響はゲームサークル活動をやっていたことで、皆と遊ぶゲームの面白さに取り憑かれたことが大きい。そしてRome: Total Warをプレイして、自分の求めていた戦術はこれだと思ってしまったのも大きく影響した。コーエーの歴史ものが悪いわけではなく、人物に焦点をあてた作品としては今でも一番面白さがあるとは思っている。ただ何かが物足りなくなったのかもしれない。

 

そんな中でも時々、弟が安売りされている洋ゲーを買ってきて遊んだが、英語版のシミュレーションみたいなのが多くて、あまり深いところまではやれなかった。その中ではSid Meier's Colonization (英語版)をそこそこ遊んだ記憶がある。当時は国内のPCゲームでは他にルナティックドーンの開かれた前途か前途への道標を楽しんだ記憶もある。そういえばシムタウンという奇怪なゲームも遊んだ。ただいづれにしても本数は多くはない。


当時遊んだPCゲーム 

Nocturne

- Sid Meier's Colonization

シムタウン

ルナティックドーン 開かれた前途

ルナティックドーン 前途への道標 

ほとんどは弟か友人が持ってきたゲームを遊んだ程度で、自分では家庭用機で遊んでいることが多かった。 

 

それから5年以上の年月が流れた。当時私はPCにNINTENDO64で発売されていたゴールデンアイ 007のようなゲームはないかと探していた。ゴールデンアイ 007はその何年か前にプレイして楽しかったゲームであった。私はまだFPSというジャンル名もその頃は知らなかったが、新鮮に感じて楽しめた記憶だけは残っていたのである。


- ゴールデンアイ 007

- FPS (ファーストパーソン・シューティング)

(英: First-person shooter、略称FPS)とはシューティングゲームの一種で、操作するキャラクターの本人視点(First-person)でゲーム中の世界・空間を任意で移動でき、武器もしくは素手などを用いて戦うコンピュータゲームを指す。基本的に画面に表示されるのはプレイヤーキャラクターの一部(腕など)と武器・道具のみである。(ファーストパーソン・シューティングゲーム - Wikipedia)

 

ある時にその当時は有名だった個人系のゲーム関係の掲示板(水無月ゲーム掲示板)に、PCにゴールデンアイ 007のようなゲームはないかと質問をした。その返答でHalf-Lifeは似たようなジャンルで面白いと薦められたのであった。ついでにCounter-StrikeというHalf-LifeのModも楽しいと書かれたような覚えがある。もの凄い年月が流れているが、薦めてくれた人の名前はnewnobuさんという人だった記憶が残り続けている。


- Half-Life

- Counter-Strike

私が遊んでいた当時はスタンドアローン版としてよりも、Half-LifeのModとしてCounter-Strikeは遊ばれていたと思う。

 

- 水無月情報ページ (閉鎖)

当時はここの水無月ゲーム掲示板の投稿数や活気がもの凄かった。私はインターネットでは当初ゲーム関係はセガBBSに出入りしていたが、その後にはこちらを覗くようにもなった。

- セガBBS (閉鎖)

当時はゲーム関係としては大規模な掲示板であった。投稿数も多く最新のゲームの話題も多かった。会社として掲示板の運営を段々と縮小していったので、きっと2ちゃんねるのPCゲーム関係の掲示板へと移行した人たちが多かったのではないだろうか。

 

newnobuさんの名前を覚えているのは、実際にHalf-Lifeをやってみたら面白かったことも影響しているが、とあるCounter-Strikeのネット上の大会に出場した時に、お互いが新人賞で入賞したのも大きく影響しているだろう。彼がいなかったら、私は洋ゲーに夢中にはなっていなかったかもしれない。


- JAPAN CS CLAN TOURNAMENT

恐らく国内では初の大規模なCounter-Strikeの大会だったのではないだろうか。120名が参加して戦った大会。私も出場した。

 

newnobuさんとはCounter-Strikeをやってから、時々は野良サーバで戦ったりもしていたと思うが、私と彼は別段その後友人のようになったわけでもなく、当時のゲーム内チャットシステムがアルファベット限定だったのも影響していたと思うが、Half-LifeとCounter-Strikeを薦められたことを話すことがなかった。そしてボイスチャットが当時は主流ではなかったのもある。

 

その後はHalf-LifeでFPSを遊びたい欲求を満たし、実に多くのModを遊んだ。当時は今みたいにはゲームが安くはなかったので、Modで遊ぶということが多かったのである。それに種類もそれほど多くはなかった。それでもそこから少しずつ他の洋ゲーにも手を出していくことにはなった。


- Half-Life Japan

Half-Lifeが楽しくて当時シングルプレイヤーのMod攻略サイトを作った。

当時はModでばかり遊んでいた私も、今では2000本を超えるPCゲームを所有していて、積みゲーばかりになってしまった。

 

もう一つとても大きく影響していたのが、Counter-Strikeのクランを創設したことで、それが気がつけばゲームサークル化して巨大になっていた。そこで出会った人たちの影響で多くのPCゲームの知識も身についた。そしてMMORPGというジャンルにもみんなと一緒に参加したので知ることができた。それがなかったらMMORPGは一切やっていなかった可能性が高い。


- Black Cat

私が創設したCounter-Strikeのクラン。大会後には段々と様々なPCゲームを皆で遊ぶようになりゲームサークル化していった。最盛期は30人以上が同時に参加していた。2005年に解散。


当時クランのメンバーと遊んだMMORPG

リネージュ

リネージュII

ラグナロクオンライン

ファイナルファンタジーXI

 

私はどれも長続きしなかったが、世界があってそこで大人数で活動をするという体験をしたのは大きかった。

今回はnewnobuさんの名前を急に思い出したので、何か当時のことを書いておきたいなと思って投稿することにした。クラン(ゲームサークル)については、また別の機会にメンバーのことも書いていこうと思う。


皆さんのPCゲームとの出会いはどのようなものであったであろうか。そして洋ゲーとの出会いなんかもそれぞれ違うのであろう。私の思い出の引き出しにある懐かしい記憶も大切なものであるが、きっと皆さんの思い出の引き出しにあるそういう出来事も大切なものなのであろう。時々は思い出して過去を懐かしむのも良いものだ。


古い記憶を辿っているもなので、思い出したり当時の画像等が見つかれば加筆修正する。

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